連載 3 東日本大震災 被災地 商業施設 視察

 

奥平與人
マイスター商業施設士 一級建築士 (公社)商業施設団体連合会・副会長

 

はじめに

 先ずは飯塚様、富岡様にはすばらしい準備と経験に基づく情報をご提供頂き、心より感謝申し上げます。
「フッコウ」という言葉も復興・福興・ふっこう、など様々な日本語に、被災された人々の思いを感じました。多くの資料を頂きましたが整理する時間もあまりとれず、概略としてのレポートとなる事をお詫び申し上げます。

そして大きな反省としては、施設を見ることが優先となり、人々との会話が足りなかったことです。
「命を守る」→「生活を守る」→「心を守る」と言われる復興の度合いの中で8年が経過した現地で何よりも当時の「絆」を振りかえるべきだったと思います。
そこでこのレポートでは他資料の被災者に関する情報による補足もさせていただきます。
 

菓房山清
菓房山清

お店のアドヴァイスをさせていただくとしたら
 飯塚様からの情報を基に、具体的に感じたことをご紹介いたします。

1.南三陸さんさん商店街『雄新堂』

復興補助金を基にパンの機械を最初にそろえたとの事。確かに初期投資として加工の前提を設えることは大切な事でしょう。持続できる経営として以下の事を感じました。
全国で売れているパンの種類、特徴を紹介する。(売れ筋情報提供)

◎地元の食材を生かしたパンの製造を提案する。(オリジナリテー商品の開発)
◎ケーキ、和菓子の併売をやめるもしくは、ケーキと和菓子の販売方法-コンセプトやデイスプレイ等を明確にする。(特化された店開発)
 たとえばニュ-ヨークマンハッタンにある「ゼーバー」と言う地元のグロッサリーストアではバケットに入れた食材の隣にその食材の産地、料理方法などを細かに書いた紙が置かれていた。買う人はその調理方法等を参考に新たな料理を試してみようと誘発され買っていく。住む人も観光客も知りたいのは今のお店の特別なストーリーだと思う。

2.ハマーレ歌津『丸荒』

バウムクーヘンが有名と聞き中に入った。海の幸とバウムクーヘンのミスマッチが顧客に新たな関心を持たれ続ければよいが、購買したい側からは買い物動機の違いに戸惑う。そこで、販促としてのコンセプトを明確にするために例えば、
◎海の幸を加工し瓶詰め商品とする。(保存食の提供)
◎ガラス瓶と再生紙によるデザインされたパッケージの利用を考える。(エコデザイン)


以上飯塚さんからの話を聞いての簡単なコメントです。

女川町
女川町


女川町について
 陸前高田、気仙沼、南三陸、石巻、閖上地区と夫々に思う事がありますが、ここでは女川町を取り上げてみたい。
 それは人口減少の中、住民と来訪者とのつながりを大切にし、将来の可能性を考えた街づくりを感じたからである。

 特に駅及び駅周辺の来街機能の施設は明るく、人々の交流を緩やかに促すデザインが好感を呼ぶ。
 

<観光ガイドブックの冒頭に記載された女川の小学生の詩>
女川は流されたのではない  新しい女川に生まれ変わるんだ  
人々は負けずに待ち続ける  新しい女川に住む  喜びを感じるために

 最大津浪高:14.8m 浸水区域:320ha(都市計画区域3850haの8%、市街化区域274haの全域が浸水)
被害区域:240ha(市街化区域274haの88%)町民
の8%に当たる827人が亡くなり、家屋の約7割が全壊した。
人口 9932人(2011年3月1日)10014人(2011年3月11日)8748人(2011年8月31日)被災後半年の人口減少率11.9%で最大とのこと。高齢化社会の影響で2009年では1.7%の減少はあった。
 
「防災」ではなく「減災」を選択した女川町。官民一体となり、「千年に一度のまちづくり」を宣言し、2011年の震災からの復興がいち早く進む地域でもある。海を見下ろすように設計された中心市街地は、公園のように整備された中に商店街を置くという画期的な試みにより生まれ変わろうとしている。新しいかたちの中心市街地の実現には、これまで水産業を中心としてきた町内のナレッジに加え、新たな価値を創成するクリエイティブな力と、日本全国はもとより世界と繋がるための起業家や人材と交流しようとしている。
 現地を見たときに、駅から南方面に小学校を建設中でした。それはまだ新たな人口が定住していないとみるべきだろう。しかし冒頭の小学生の言葉のように「流されたのでなく、新しく生まれ変わる。」との言葉が人々の意識の支えになっている。

 そこで新たにつくられている商業施設でなく駅及び駅周辺の坂茂の設計による「女川駅舎」、日本財団などによる「Camass女川フューチャーセンター」そして地元の経営者による「ホテル:エルファロ」を具体的に述べてみたい。
 

『Camass女川フューチャーセンター』
「女川の未来を考える地域内外の交流施設」として、2015年3月28日にオープン。
 街の交流や事業を促進する為に有料の共同オフィスと無料の多目的室がある施設。
 「Camass」は「カマス」と読み、女川弁で「かます=かき混ぜる」と英単語の「Mass=たくさんの・大勢で」の二つを組み合わせる。「女川でみんなのつながりを作る場所として愛されるように」という想いを込め、ネーミングを決定した。

 “つどい、かたり、つくる。仕事・創業・出会いの場所。”のテーマのもと【コワーキングスペース】【創業支援】【女川町民集いの場】という3つの役割を担う。 
 
 
この施設は以下のように紹介されている。

会員が自由に利用できるコワーキングスペースと呼ばれるデスクや、予約制の会議室などから構成。フューチャーセッションや各種イベントも順次開催されます。これまで女川町になかったクリエイティブ人材との交流が期待されます。
 また、女川町で創業する方たちのサポート役としても機能。伸ばして行きたい漁業等の産業の新たな事業機会の創出を共に考えていく場となります。
 
さらに、中心市街地となるプロムナードのオープンに向け、駅前をより盛り上げるための活動の場・女川町の住民の方々が自由に利用できる集いの場としても開放されます。

 
 女川フューチャーセンターCamassの道端の石碑に書かれたメッセージが以下のように書か
れてあったので紹介する。

 寄贈  おながわ復興ガーデン
女川はながされたのではない・新しい女川に生まれ変わるんだ・人々は負けずに待ち続ける・新しい女川に住む喜びを感じるために・勇気と情熱を讃え女川ひとにこの庭を贈ります。 
庭園デザイナー石原和幸 株式会社丸惣 有限会社大地環境企画 高橋政一   
 平成27年12月23日


ホテルエルファロ
施設規模 敷地面積/7,324,11 ㎡ 延床面積/1,421,47 ㎡
施設内容 宿泊棟(32棟)、レストラン棟(3棟)、厨房棟(1棟)、管理棟(4棟)
 トレーラーハウスという接地性を活かし、女川の自然や育まれてきた営みをサービス・価値・体験として組み合わせ、この場所にしかない宿泊体験を提供するため、外部空間を積極的に利用できるような配置計画としている。
 

 東日本大震災で被災した4事業者が協働組合という形をとり、2011年にオープンさせた宿泊施設。 
 当時、区画整理による今後の土地利用が未確定なことから、将来的な移転を見据えてトレーラーハウスで営業を始めた。
 2015年3月に女川駅が開通した後、駅前に移転・リニューアルオープンすることが決まり、新たに立てたコンセプトが〈女川・アウトドア・リビング>。
 
 以下は一般に紹介されたオーナーの言葉などである。

「震災で両親も旅館も失った。親の死が受け入れられず事あるごとに泣いていた。家族には涙を見せないようにしていたけど、娘たちが気付いて“お母さん泣いていいんだよ”と言ってくれたんです」。
 その言葉で、佐々木里子さん(ホテル・エルファロ共同事業体代表)は再び旅館を営む決意をしました。女川町にあった旅館や民宿の半分以上が津波で被災したなか、佐々木さんは同業者3人とともに2012年12月、トレーラーハウス40台を活用してホテルをオープンさせました。
 ホテル名はスペイン語で灯台という意味の「エルファロ」にし、トレーラーの外壁は「がれきの中、花畑のような心和む空間をつくりたい」とパステルカラーに彩りました。
 

 開業から数年、エルファロはボランティアや復旧工事関係者、視察団体などの宿泊施設として女川の復興に貢献してきました。
 最近は、ボランティアを機に親しくなった町民に会いに来たり、おながわ秋刀魚収穫祭などのイベントを楽しみに訪れたりするリピーターが増えたそうです。「もう、被災して悲しい町ではなく、楽しく遊びに来られる町になりつつあるんです」と佐々木さんは喜びます。
 

 2017年8月、エルファロは女川駅のすぐそばに移転し、新たなスタートを切りました。駅前にはレンガ道沿いに雑貨店や飲食店が並び、賑わいを見せています。「一歩外に出れば海があり、手作り体験のできる工房がある。さらに女川は水産業、商業、観光業の間に壁がないので、宿泊やアクティビティの企画を立てる時も“これ俺たち手伝えるよ”とすぐ応えてくれる。」
 佐々木さんは語り部活動などでよく「復興の目撃者になってください」という話をします。
 「ページをめくるように町が変わっていく。その経過を見てください。遊んで帰った後、再び1年後に来ていただいて変化を感じてください。それが女川を元気にしてくれますし、支援になります。」
 復興という“光”を観に、もうじき8年になる被災地へ。エルファロは名前の通り、観光客を迎え入れる灯台となっています。

 フロント棟やレストラン棟

各宿泊棟の前に用意した大小様々な溜まりの空間

 カラフルな外観に、シンプルなインテリア。
日中は窓から外の光が注ぐ、明るい部屋


女川駅舎+女川温泉ゆぽっぽ
 町の再生の第一歩としてJR女川駅舎が2015年3月21日にオープン。
JR石巻線の終点、『海の見える終着駅』女川駅舎は、建築家の坂茂氏が手がけ、ウミネコが羽ばたく姿をイメージした白い屋根が特徴な町のシンボル的存在となっている。旧駅舎から約200m内陸の高さ9mかさ上げされた地に建つ、3階建ての新駅舎で、かつて駅に隣接していた町営の温浴施設「女川温泉ゆぽっぽ」、ギャラリーなどが併設されている。

 屋根には透過性のある膜素材を採用。自然光を「ゆぽっぽ」の浴室や休憩室に導く。それが気候や時間で変化する、柔らかな光に包まれた空間を生み出している。
 その浴室では坂の声掛けに賛同した画家・千住博によるタイルアートが原画を忠実に転写する高度な技術で製作されるタイルを使ったという。


 JR女川駅は地上3階建て。鉄骨造(一部木造)
駅舎としての機能の他、1Fゆぽっぽ内にギャラリー、2F
に温泉施設と休憩スペース、3Fに展望デッキがある。
JR石巻駅から石巻線で約30分。

入浴料500円
駅前にある無料の足湯は10時~17時

 

 以上3つの来街にとってきっかけとなる施設を検証してみた。
「流されたのでなく、新しく生まれ変わる。」という冒頭の小学生の言葉に示されるとおり、未来に対して新しい発想の下、街が作られつつあると思う。固定的な概念を取り払い未来の街にとって大切な施設融合(駅舎+浴場や有料+無料利用施設など)が作られているからである。


 しかしまだ住民と来街者との日常生活の中での交流が少ないといえよう。これから年々それも増加して東北に女川町が広く知られるようになるとも思う。それは http://www.onagawa-future.jp/about/guide/ など情報交流の場が発信され交流の機会が開かれているからである。


終わりに
 津波を弱める方法を述べてみたい。
そもそも四週を海で囲われた日本、特に太平洋側の沿岸部での津波対策は歴史的にどうしてきたのだろう?国土を守る発想での防波堤工事と嵩上げ地盤工事が今回も様々な場所で作られている。はたして21世紀、技術の高度に発達した現代での対策はもっと違う発想があるような気がする。以下の記事を紹介する。
 
 「alterna」サステイブル・ビジネス・マガジンに、
津波の大きな力に抵抗するのではなく、しなりながら受け流すことで波の力を緩める新発想の防潮堤が開発中だ。竹中工務店は6日、環境シンポジウム「東日本大震災を受けて、今、私たちが提案・提言できること」で同案を発表した。
 タイ現地法人のチームによる柔構造の防潮堤案だ。従来の堅牢かつ剛構造のコンクリート壁で大きな力に耐えるのではなく、根元のみを海中で緊結し、上部を浮構造とすることで波に追従しながらその膨大な力を吸収して弱めるというもの。
 それを千鳥配置することで、それぞれの防潮堤が集めた波の力を互いに封じ込めることができるとの予測もある。課題もあるが技術的には実現可能で、すでに特許出願済みだという。素材や工費は検討中だ。波動発電や魚礁機能を組み合わせることも可能で、景観的にも従来の防波堤より美しくなるに違いない。
 
 最近の大量降雨による水害被害やがけ崩れ、超周期振動による建物被害など、地殻変動と地球温暖化によるかつてない災害に対しては発想の違いによる対策が求められていると思う。その為に政府も防災庁を検討しているとの事、様々な専門家の新しい発想による知恵と技術提案が結集され、抜本的な対策が求められていよう。すべての人の安全と安心を守ることは国家としての最重要な使命で、SDGsとしても考える視点といえよう。