連載 8 東日本大震災 被災地 商業施設 視察

復興 八年目の検証・令和元年十月五~六日

益子 良榮

                   

相手にエネルギーを与える元気な笑顔

  「とにかく誰かが先頭を切って、元気を取り戻し、津波を押し返す新しい波を起こさなくてはならない。」そんな信念とエネルギーに随所で出会った視察旅行だった。

   直後に台風十九号による被害のニュースが、日本列島あちこちから告げられた。異常気象による災害はこの先、減る事は無いだろうし、日本列島の地盤活性化という情報もある昨今。殆どの人が、台風十九号による被害ニュースに接する度、他人ごとではない、心のダメージを感じたのではないだろうか。

 東日本大震災被災地の復興を視察して、一番感じた事は、ここに復興のお手本があるという発見。むしろ、復興に立ち向かう人達から、今後に向けての元気を貰ったという感触。

 

   「元気を有難う。」と、こちらが言いたくなる気持ちは視察旅行の二日後、東京日本橋の「いしのまき元気いちば」に出会った時も続いた。東京のど真ん中、日本橋高島屋の隣、太陽生命ビル前の広場。「いしのまき元気いちば」のテントが並んでいる。

 そして「㈱元気いしのまき」代表取締役副社長・松本氏の元気な笑顔に再会した時、最も強く感じた「元気を有難う」。強行スケジュールの疲れも見せず、石巻で「明日、明後日は日本橋です。」と語った時の明るい笑顔そのままだった。

 

 

 「まず自分たちが立ち上がらなくては。」

  話を戻して、視察旅行二日目。北上川の中州にある「石ノ森萬賀館」の特徴ある建物。その向かい側にある「いしのまき元気いちば」でおいしい秋刀魚を戴きながら、地元の人達との会話。

 「石ノ森萬賀館」は津波が繰り返し押し寄せても建物被害は殆ど無かったとの事。随分早い再開が地元の人を元気づけたそうだ。「それは、やっぱりドーム型屋根のおかげかも知れないね。」というような意見も出た。

 

 「私は魚屋じゃないですけど、地元の秋刀魚を焼いてます。自分達がまず立ち上がらなくては。」と言いながら気仙沼の新鮮秋刀魚を焼いてくれたのが「㈱元気いしのまき」代表取締役副社長・松本氏。「うまい。」視察メンバーは、その後自分達も焼いて楽しんだ。

 吹き抜ける風と堤防が一体となった、気持ちの良い空間。只、大きな樹木が失われた川辺の夏は、木陰の用をなす設備が必要となるだろう。自然と一体化する材質、デザインのテントの出番ではないか。

 

 

街の高台の役目

  日本全国、殆どの街、町、村には、城山とか、ほぼ街全体を眺められる高台がある。石巻の高台。日和見公園に身を置くと、地元の人は全身を安心感が包んでくれる気がするという。

 昔から、漁業に携わる人達は、この山に海のご機嫌をうかがったという。海風、海の光が、山々にどのように影響しているかを見て、船を出すかどうかを決めたという。

 前回、訪れた時、この下まで津波が来たと聞いた。それから五年後の現在、松が安心して成長プロセスに入っていることが見て取れた。直接、波をかぶったのではなくとも、松に取っても、復興努力の年月であったのだろう。

 奥の鹿島御子神社に車の安全を祈願するしつらえが新しくできていた。災害時、車が無事かどうかは、その後の活動を大きく左右するというリアルな経験からだろう。

 

 話は前後するが、日和見公園を右に廻りこむと「石ノ森萬賀館」。この建物が無事だったのは全体の構造が自然に逆らわないノウハウで造られているからではないか。

 

 

陸前高田市

 前回、訪れた時の衝撃。巾が広いベルトコンベアで、運ばれる砕石、東京では見た事が無いような大型トラックの荷台から下ろされ、どんどん岸壁に嵩上げされていくあの光景は、まるで映像作品を見るようで現実感から遠かったのを覚えている。

 あれから五年。地元の人は「野菜なんかは道の駅で買います。」と。近在の生産活動がじっくりと周囲の街に根を張るにはまだまだ時間が必要なようだ。

 東京の目黒区には陸前高田市を応援している店も少なくない。

 

 

気仙沼市

 カモメ通り商店街。二〇一七年三月には六店舗オープン。スーパーも二~三軒出店計画ありで「復興住宅も揃い、震災前の様子に、ゆっくりゆっくり戻りつつあります。」と。

 東京目黒区と気仙沼市は平成二十二年に友好都市協定締結。秋刀魚を通じての長年のおつきあい。区民は気仙沼市むの復興に、息の長いお手伝いをしたいという意識。

 

 

南三陸町

 南三陸町さんさん商店街は震災後、全国的に知られる商店街になりつつある。ゆくゆくは、観光地として育ててゆきたいように見える。二十八店舗は、前回訪れた時のフレッシュなイメージをキープしている。街が全く消えてしまった場所にゼロから、商店街を育てていく大変さを南三陸商工会会長の長山内正文氏が語られ、皆、神妙に聞き入った。津波体験、避難事情、復興のシュミレーション。全員、静かに感動しました。

 

 

女川町

 女川は以前から好きな町だった。リアス式海岸がつくる自然で静かな小さな港町だった。それが震災で住民の八%の方が亡くなった。

しかし、若者中心に復興への立ち上がりは早かった。JR女川駅を二〇一五年、三月のオープンさせた。温浴施設を併設する女川駅は空に羽ばたいているように見える。イベントを行う広場も未来志向だ。各商業施設も、もう一度ゆっくり来たいと思わせる魅力あり。

 二〇一六年には「浜テラス女川」オープン。風景の中で何とも力強い存在感。メイン道路を超えて、海から真正面に波が来ても決して負けませんと言っているようだ。、

 東京目黒区の正覚寺で、今年十一月十日「開山四百年祭」が行われたが、女川の人達のテントもあり、大いに盛況のようだった。

 

 

 名取川

 日本全国、美しい川は数々あるが、名取川の表情は豊かで美しい自然を教えてくれる川。多くの川好きに尊敬される川。その下流リバーサイドに今年四月、「かわまちてらす閖上(ゆりあげ)」がオープン。

 環境になじむ質実な建築の商業施設。入っている店舗は地元海産物、名産品の飲食、物販の店。カレー、ラーメン、タコ焼きなどのカジュアルフードの店。もちろん名産・笹かまぼこの店も「ささ圭」「佐々直」がはいっており、さまざまな商品開発に取り組んでいる。  店々のほんのちょっとした対応に深い地元愛を感じる商業施設。

 名取川リバーサイト「かわまちてらす閖上」は環境に配慮した、人に感動を与える商業施設として育って行くスタートラインに今、立っている。

 今後へのリクエストのひとつ。「かわまちてらす閖上」と名乗っているのだから、海のものだけでなく、川のものも打ち出してほしいところ。例えば名取の芹。流域のきれいな水で育てられ、根っこまで食べられる名品の芹。全国ブランドになれる地域の名品を揃えれば「かわまちてらす閖上」は一層、地域を代表する、いい顔の商業施設になっていくのではないだろうか。

 

 地元の「佐々木酒造店」。全国からの支援、国からの復興支援、地元の希望に支えられ、震災から八年半の努力を結実させて、川から少し入った、元の場所に戻って来た。

仮設酒造所で造り続けて来た地酒「閖上」を「今後はこで仕込みます。」と力強く。